#02 南阿蘇の自然食料理家・かるべけいこさん
「自然がくれた愛情ごはん」というレシピ本を出版したひとは、誰よりも食に愛情を持って、日々をたいせつに暮らすひとでした。
「自然食料理家」として、南阿蘇にある築60年の古民家で、自然食の料理教室などを主宰されているかるべけいこさんにお話を聞いてきました。
* * * * * *
元々料理が好きだったというかるべけいこさんが最初に目指したのは、栄養士。
その理由は、「給食がおいしくなかったから」。子どもたちにおいしいものを食べさせたいという、シンプルな思いからのことでした。
栄養士になる勉強をしながら、かるべさんが最初に携わった「食」の仕事は、学生時代にアルバイトで始め、やがて正社員として従事した飲食店での勤務でした。かるべさんが働いていたのは、現在は夫であり、百姓で写真家の野中元(はじめ)さんが社長を任されていた飲食店チェーン。
しかし、効率や原価率を重視するあまり、料理を提供する行程がすべてマニュアル化され、味も徐々に落ちていき、大好きな料理をしていても楽しくなくなってきたそうです。
かるべさんが野中さんと結婚したのは、23歳のとき。
それから一年もしないうちに外食産業の在り方に疑問をもった野中さんは、やがて自給自足の自然農法に興味をもつようになり、かるべさんに「一緒に田舎ぐらしをしようと」もちかけました。
「食べる人においしいと思ってもらえて、かつ、作り手も楽しいと思える料理を作れるなら」と、共にわくわくしたというかるべさん。ほどなくして、ふたりは家探しを始めます。
かるべさんと野中さんご夫婦が、畑をつくりながら暮らせる家・土地を探し始めたのは、まだ「有機野菜」も「自然食」も今ほど認知されていない15年ぐらい前のこと。現在取りざたされている「スローライフ」の概念など気配すらない、バブル崩壊後すぐのことでした。
それでも自分たちが望む暮らしはこれだ、と確信を持ち、働いていたお店を辞めたとき、かるべさんはまだ24歳という若さでした。
元々福岡出身のかるべさんと野中さん。
「どうして福岡じゃなくて熊本に探したんですか?」とかるべさんにお尋ねしたところ、立地や金銭的な条件はもちろんありましたが、一番は「修学旅行で阿蘇に遊びにいったとき、とってもいい、素敵なイメージを持ったから」とのこと。栄養士になろうと思った理由「給食がおいしくなかったから」といい、たいせつなことをシンプルに判断された末、現在のかるべさんと野中さんご夫婦があることが窺えます。
夫の野中さんが「50冊ぐらい農業の本を読み漁って」夫婦で始めた自給自足の暮らしも徐々に軌道に乗り、「店」という形態はとっていないものの、かるべさんがつくる素材の味を生かした料理が振る舞われ、泊まってくつろぐこともできるという野中家は、「裏民宿」として注目されるようになりました。
「別に誰かに喜んでもらおうとか、儲けたいとか、一切思ったことはないんですよ。今までずっと自分たちが楽しいと思うことをやってきて、わたしたちがやっている色々なことに共感する方が徐々に集まってきてくださるようになったので、自宅に招いておもてなししている、というぐらいの話です」とかるべさんと野中さん。
それでも本を出版できるってすごいことですよ、とお伝えすると「好きなことをやってるだけですから」とおふたりはやわらかく笑います。
これからも、野菜を作って収穫することをベースにして、意識や方向性が通 じる人と一緒に食卓を囲んだりしながら、気持ちよく暮らしていきたいと語るかるべさんと野中さんに「夢は?」と尋ねてみると、
「夢というより、毎日を丁寧に生きること。その積み重ねでこれまで思いもしなかったことができるようになってきました。これからもそれは変わりません。二人の子どもたちと一緒に、いつも楽しく過ごせることが一番です。」という言葉が返ってきました。
使い古された言葉ではありますが、名実ともに「自然体」で日々の暮らしを営むかるべさんと野中さん。これからも野中家に集まる人たちは、増え続けていきそうです。
* * * * *
*かるべけいこさんの自然食を食べられる「9.6南阿蘇村ツアー」についてはこちら
感激のおいしいお料理と9月6日のツアー報告はこちらへフォトラバ画像をクリックしてご覧ください。
*かるべけいこさんが出版したレシピ本は こちら
*野中家のサイトは こちら
「自然食料理家」として、南阿蘇にある築60年の古民家で、自然食の料理教室などを主宰されているかるべけいこさんにお話を聞いてきました。
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元々料理が好きだったというかるべけいこさんが最初に目指したのは、栄養士。
その理由は、「給食がおいしくなかったから」。子どもたちにおいしいものを食べさせたいという、シンプルな思いからのことでした。
栄養士になる勉強をしながら、かるべさんが最初に携わった「食」の仕事は、学生時代にアルバイトで始め、やがて正社員として従事した飲食店での勤務でした。かるべさんが働いていたのは、現在は夫であり、百姓で写真家の野中元(はじめ)さんが社長を任されていた飲食店チェーン。
しかし、効率や原価率を重視するあまり、料理を提供する行程がすべてマニュアル化され、味も徐々に落ちていき、大好きな料理をしていても楽しくなくなってきたそうです。
かるべさんが野中さんと結婚したのは、23歳のとき。
それから一年もしないうちに外食産業の在り方に疑問をもった野中さんは、やがて自給自足の自然農法に興味をもつようになり、かるべさんに「一緒に田舎ぐらしをしようと」もちかけました。
「食べる人においしいと思ってもらえて、かつ、作り手も楽しいと思える料理を作れるなら」と、共にわくわくしたというかるべさん。ほどなくして、ふたりは家探しを始めます。
かるべさんと野中さんご夫婦が、畑をつくりながら暮らせる家・土地を探し始めたのは、まだ「有機野菜」も「自然食」も今ほど認知されていない15年ぐらい前のこと。現在取りざたされている「スローライフ」の概念など気配すらない、バブル崩壊後すぐのことでした。
それでも自分たちが望む暮らしはこれだ、と確信を持ち、働いていたお店を辞めたとき、かるべさんはまだ24歳という若さでした。
元々福岡出身のかるべさんと野中さん。
「どうして福岡じゃなくて熊本に探したんですか?」とかるべさんにお尋ねしたところ、立地や金銭的な条件はもちろんありましたが、一番は「修学旅行で阿蘇に遊びにいったとき、とってもいい、素敵なイメージを持ったから」とのこと。栄養士になろうと思った理由「給食がおいしくなかったから」といい、たいせつなことをシンプルに判断された末、現在のかるべさんと野中さんご夫婦があることが窺えます。
夫の野中さんが「50冊ぐらい農業の本を読み漁って」夫婦で始めた自給自足の暮らしも徐々に軌道に乗り、「店」という形態はとっていないものの、かるべさんがつくる素材の味を生かした料理が振る舞われ、泊まってくつろぐこともできるという野中家は、「裏民宿」として注目されるようになりました。
「別に誰かに喜んでもらおうとか、儲けたいとか、一切思ったことはないんですよ。今までずっと自分たちが楽しいと思うことをやってきて、わたしたちがやっている色々なことに共感する方が徐々に集まってきてくださるようになったので、自宅に招いておもてなししている、というぐらいの話です」とかるべさんと野中さん。
それでも本を出版できるってすごいことですよ、とお伝えすると「好きなことをやってるだけですから」とおふたりはやわらかく笑います。
これからも、野菜を作って収穫することをベースにして、意識や方向性が通 じる人と一緒に食卓を囲んだりしながら、気持ちよく暮らしていきたいと語るかるべさんと野中さんに「夢は?」と尋ねてみると、
「夢というより、毎日を丁寧に生きること。その積み重ねでこれまで思いもしなかったことができるようになってきました。これからもそれは変わりません。二人の子どもたちと一緒に、いつも楽しく過ごせることが一番です。」という言葉が返ってきました。
使い古された言葉ではありますが、名実ともに「自然体」で日々の暮らしを営むかるべさんと野中さん。これからも野中家に集まる人たちは、増え続けていきそうです。
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*かるべけいこさんの自然食を食べられる「9.6南阿蘇村ツアー」についてはこちら
感激のおいしいお料理と9月6日のツアー報告はこちらへフォトラバ画像をクリックしてご覧ください。
*かるべけいこさんが出版したレシピ本は こちら
*野中家のサイトは こちら
Posted by フルスプ**fleursoupe**
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